「うそつきは、政治家の始まり。」 

これは、学生時代に所属した早大雄弁会(弁論部)で、よく聞かされた話です。これには二つの意味が込められていました。一つは、国や国民のために、うそをついてまでも行うべきことがあるのならば、うそをつくことができるということも政治家にとって必要な能力であり、覚悟であるといった話です。もう一つは、私の立場を守るためにうそをつく政治家が多い、多すぎるということを嘲笑するという意味です。公か私のためか、という違いですね。

前者の意味で言いますと、雄弁会の先輩で、自民党結党の立役者であり、鳩山総理の側近であった三木武吉衆議院議員の「うそも誠心誠意つけば、真実になる。」ということばも、繰り返し聴かされた話です。政治家が公のために果たすべき覚悟を述べたものでしょう。「うそは方便。」という類の話ですね。

例えば、日露戦争を終結するためのポーツマス講和会議に臨んだ小村寿太郎外相は、ロシア語が全く分からないという前提で、会議では、フランス語が使われることになりました。それが条約締結後になって、初めて流暢なロシア語で、ロシア全権代表のウィッテ(後のロシア首相)と挨拶をし、ウィッテを驚かせたというか悔しがらせたというか、やられたということで賞賛されたわけです。要は、ロシア語もフランス語も堪能ということで、最初にロシア語で話す時もフランス語で通訳が話す際も理解できるわけですから、相手の話を2度聞くことで、十分な時間を稼ぎ、反撃する用意をしたということ。そして、白熱する会議の中で、ロシア側が内輪でコチョコチョと相談する内容も理解していたという事ですね。

「ロシア語が話せません。」といううそが、日本の国のためになったということです。

近年でも、「解散時期」については総理大臣の、「公定歩合」については日銀総裁の「うそ」は、マスコミにも認められた「うそ」でした。何れも公の秩序を守るためという前提があったからです。

翻って、今の日本。政治家の語る言葉、いかがでしょうか。

例えば、年金の名寄せ。3月の調査期限が守ることができないという話、いかがでしょうか。3月という参議院選挙の時の公約、そして「最後の一人まで。」という公約が、1975万件は困難ということになりました。

舛添厚労大臣、「選挙のスローガン。」

町村官房長官、「選挙中なので、簡素化してモノを言ってしまった。」

福田総理大臣、「公約違反というほど大げさなものなのかどうか。」

皆さんは、ここに、国のため、国民のため、そして公のために、という国のリーダーとしての覚悟を見ることができますか。誠意は感じられますか。

日本を変える、ならば、まず政治家を変える。これが、最初の一歩ではないでしょうか。




コメント一覧

コメントの投稿


管理者だけに表示を許可する

トラックバック

http://achiha.blog75.fc2.com/tb.php/304-b9de2730

 | HOME | 

topRecentsarchivecategorylinkserchother